自意識過剰がやめられない話

自意識過剰がやめられない理由の1つに、「全然"過剰"じゃないときがたまにある」ということがある。


例えば。

私「("フォロワーさん"のいじわるなエアリプを見て)これって私のことかな?」

友達「いや違うでしょ…考えすぎだよ…」

私「(もう1つのいじわるなエアリプを見て)こっちは?」

友達「あー…これはそうかも…」

というようなことがあった。


あと道で(この人ついてきてる気がする…)と思ったら本当についてきてる とか。


こういうことが100回に1回あるので自意識過剰はやめられない。


まあ"そういうこと"があったとしてももうどうしようもないのですが…


伊坂幸太郎さんが「たいていの心配事が起こらずに済んでいるのは自分が心配しているおかげだから」というようなことを言っていた。

その気持ちわかる。

私が自意識過剰をやめたら100回に1回で済んでいた"そういうこと"は100回に50回くらいになっちゃうかもしれない。

私が自意識過剰をやめた瞬間日本にミサイルが飛んでくるかもしれないし、地球に大きい隕石が降ってくるかもしれない。地球の沙汰私の次第。


あと指原莉乃さんも「トイレに行くときは個室に隠しカメラがあるかもしれないからピースしながら催す」というようなことを言っていた。

その気持ちもわかる。"わかっている感"を出すことが大事 だと思っている。

いじわるなエアリプをしてきた人、わかっていますよ。

この世はわからないことだらけですが…


あと、心配して心の準備をしておくことで実際に"そういうこと"が起こったときの心のダメージを軽減できる。


本当にそうか?


毎日色々な心配し続けて徐々にすり減る心のダメージの方が大きい気がする。

こんなに色々心配してるのにこの世には私が心配しきれてないことの方が多いわけで、もっと色々心配しなければ地球が終わってしまうかもしれない…という考え自体が自意識過剰では…

もう頭がおかしくなりそうなので最近食べたおいしいものでも見てください。

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水曜日のダウンタウンの、「◯◯、10秒に一粒なら永遠に食える説」、梅水晶なら永遠に食べられるのでは?

コリコリだから噛むのが疲れるかな。